白岩観音堂(惣持院)概要: 白岩観音堂の創建は不詳ですが永明寺山中腹の岩窟に如意輪観音が出現したのが始まりと伝えられています。古くから諏訪七観音の1つとして信仰され歴代高島藩(藩庁:高島城)の藩主からも帰依され、元禄年間(1688〜1703年)に当時の藩主である諏訪忠虎の命により現在地に移されたとされました。
記録的には延宝6年(1678)や延宝9年(1681)に編纂された「矢ケ崎村宗門帳」や元禄3年(1690)に編纂された「矢ケ崎検地目録」などに白岩観音と思われる記述もあり少なくこれ以前から存在していたと思われます。さらに享保18年(1732)に描かれた「手元絵図」には現在地と略同じような場所に観音堂と別当である惣持院が描かれています。別当である惣持院は寛正3年(1462)に創建され永禄13年(1570)に現在地に移りました。
現在の白岩観音堂は安永3年(1774)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間軒唐破風向拝付、向拝欄間には龍、木鼻には唐獅子、漠、唐破風に鳳凰、唐破風懸魚には菊の彫刻を施されています。白岩観音堂は江戸時代中期の御堂建築の遺構で立川流初代の立川和四郎富棟の作としても貴重な事から平成元年(1988)に長野県の県宝に指定されています。諏訪三十三観音霊場第13番札所(札所本尊:白岩観音)。諏訪郡霊場百番札所第4番札所(札所本尊:白岩観音・御詠歌:遠くともつい白岩の観世音 誓い新たの功徳つかはら)。惣持院の宗派:真言宗。惣持院の本尊:阿弥陀如来。
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