高山寺(小川村)概要: 宝珠山高山寺は長野県上水内郡小川村稲丘に境内を構えている真言宗豊山派の寺院です。高山寺の創建は大同3年(808)坂上田村麻呂が戦勝祈願のため観音堂を建立し弘法大師空海が自ら彫り込んだ聖観音像を安置したのが始まりと伝えられています。以来、領主や支配者から庇護され境内には七堂伽藍が建ち並び末寺は18ケ寺を数え、建久6年(1195)には源頼朝が崇敬し三重塔を寄進しています。
江戸時代に入ると荒廃しましたが、木食山居故信法阿上人の尽力で再興が図られ境内の整備されています。木食山居上人は遊行僧として知られ、上水内郡の虫倉山で厳しい修行を行い、北信地方や中信地方で多くの木像を彫刻する一方で、高山寺の三重塔や、若一王子神社三重塔の勧請を行っています。信濃三十三観音霊場が開設されると高山寺は第三十三番札所という重要位置を占め満願の寺又は結願寺などとも呼ばれています。
現在の高山寺三重塔は江戸時代中期の元禄11年(1698)、木食山居故信法阿上人によって再建されたもので高さ17.1m、宝形屋根、銅板葺(元こけら葺)、一辺3.36m、内部に胎蔵界大日如来像、阿弥陀如来像、釈迦如来像を安置、北信州唯一の三重塔で長野県内に存在する12塔中最古のものとして貴重な事から昭和60年(1985)に長野県の県宝に指定されています。高山寺観音堂は室町時代に建てられたもので入母屋、元茅葺、妻入、桁行5間、梁行3間、内部には弘法大師作の聖観音立像をはじめ木食山居上人作の千躰仏像、秩父、西国、板東観音が安置されています。
伝承によると観音堂に施された龍の彫刻は左甚五郎の作とされ、余りの出来栄えから魂が宿り、夜な夜な観音堂を抜き出し下の大門池で水を飲み暴れまわった事から、住職が念仏を唱え、彫刻の頭に五寸釘を打ち付けると、抜け出す事が無くなったと伝えられています。高山寺観音堂は室町時代の御堂建築の遺構として貴重な事から小川村指定文化財に指定されています。信濃三十三番観音霊場第33番札所(札所本尊:聖観音菩薩・御詠歌:たかくとも やすくのぼれよ てらさかを くぼんじょうどへ まいるみなれば)。宗派:真言宗豊山派。本尊:聖観世音菩薩。
高山寺の文化財
・ 高山寺三重塔-元禄11年−三重塔婆,高さ17.1m,銅板葺き-長野県県宝
・ 高山寺観音堂-室町時代-入母屋,妻入,銅板葺-小川村指定文化財
・ 高山寺鐘楼門-天明6年-一間一戸,入母屋,銅板葺,四脚楼門-小川村指定文化財
・ 千躰仏-江戸中期-木喰山居故信上人作,一木造,金箔押-小川村指定文化財
・ 百番観音像-寛政年間-高山寺25世宥巌作,寄木造,金箔,彩色-小川村指定文化財
・ 木造聖観音立像-藤原時代中期−桧材,一木造,像高52.5p-小川村指定文化財
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