明音寺(箕輪町)概要: 明音寺は三州街道の松島宿に境内を構えている曹洞宗の寺院です。明音寺の創建は享禄3年(1530)当時の領主小笠原氏(松島城の城主)が開基となり大仲霊乗大和尚(※1)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。江戸時代に入ると徳川将軍家から寺領4石が安堵され、江戸時代後期の文政年間(1818〜1830年)には公家富小路家の祈願所に選定されるなど、寺運も隆盛し末寺5ヶ寺(明光寺・真福寺・守桂寺・正全寺・秋葉寺)を数え信州伊那諏訪八十八ヶ所観音霊場第五番札所(※2)としても信仰されています。明治時代には寺領の強制返納や、廃仏毀釈運動の高まりなどで衰微しましが、その後農地開発に尽力するなど再興され現在に至っています。信州伊那諏訪八十八ヶ所観音霊場第五番札所。宗派:曹洞宗。本尊:弥勒菩薩坐像(秘仏:60年毎に御開帳)。
現在の明音寺山門は享保3年(1718)に建てられたもので入母屋、銅板葺き、三間一戸の八脚楼門、上層には高覧が廻り、組物は三手先組物、開口部は連子格子、下層部には金剛力士像が安置されています。棟梁は三州門前町の宮大工(牛窪流)丸山茂兵衛で当地方とは異なる異色な工法を採用しています。明音寺山門は伊那地方に見られる寺院楼門建築の代表作として貴重な存在で昭和53年(1978)に箕輪町指定有形文化財に指定されています。その他にも境内には宝暦14年(1764)に再建された本堂(入母屋、銅板葺、平入、正面3間向拝付、桁行10間、真壁造)や大正5年(1916)に建立された位牌堂(入母屋、桟瓦葺、土造、白漆喰仕上)、文政2年(1819)に建立された鐘楼(入母屋、銅板葺、袴腰付き)などがあります。
補足: (※1)大仲霊乗大和尚−真珠院(静岡県静岡市清水区)3世
(※2)信州伊那諏訪八十八ヶ所観音霊場−元禄4年(1691)の飯島村住民の城取氏、福岡村住民の福沢氏の発願で選定された。
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