縄手通り(松本市)概要: 縄手通りは案内板によると「縄手の露天の発祥は明示以降で、それ以前はお堀に面した土手だった。四柱神社の宮司が埋め立てを発案、目地役場に話したところ予算がないから皆で埋め立てるということになり、方々から土砂を運んで来ては埋め立てた。この場所をにぎやかにするため四柱神社の要請で興行師に一役かってもらったのが縄手の露天の始まりとなった。ちなみに縄手の命名の由来は、松本城築城の頃にさかのぼる。設計図を作成する際、測量用に外堀の計画線の外側に縄がはった。その縄を水縄手と呼び、後に堀を監視するための細い道路を水縄手道と呼ばれた。当時は縄手は城をとりまく四方にあったが現在地名として残ったいるのはここ一ヶ所だけ。」とあります。当時からの街並みではありませんが、松本市の落ち着いた雰囲気をより深めてくれる通りで、女鳥羽川や四柱神社など一体となった空間構成になっています。
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