山村稲荷・概要: 江戸時代、木曽代官を歴任した山村家は中世、木曽谷を支配した木曽氏の居城である福島城(長野県木曽郡木曽町)の麓に代官屋敷を構え、当地の行政を担っていました。福島城は既に廃城となり城山と呼ばれるようになり、そこに住んでいた一匹の白狐を山村家は守護神として篤く信仰していました。白狐は「おまっしゃま」と呼ばれ木遣唄がうまく、よく城山で歌っていましたが、不思議な事に、その歌が遠くに聞こえた時は平時な時で、近くで聞こえる時は町で災いが起きていました。ある夜、代官が城山に出かけると、耳元で歌っている位近くで木遣唄が聞こえた事から、これは屋敷で何か悪い事が起こると悟り、家臣に命じて厳重に見張りを立てました。しかし、間隙をつかれ宝蔵から千両箱を盗まれ、盗人は城山に逃げていきました。代官は城山に追手を差し向けるといとも簡単に盗人が捕まった事から事情を聞きだすと、盗人は狐に騙され、同じところをぐるぐる廻り城山を抜ける事が出来なかったと話しました。代官は「おまっしゃま」が守ってくれたと感じ入り、好物である沢山の油下を奉納し益々信仰するようになりました。数10年後、代官山村家では引き続き「おまっしゃま」を信仰していましたが、町民達は次第に忘れるようになり、ある時、「おまっしゃま」を知らない大工の彦七は単なる狐と思い射ち殺してしまいました。すると、木遣唄は聞こえなくなり、用心する事が出来なくなった為、火事などの災いが度々起こるようになりました。しかし、山村家には災いが降りかかる事もなく安泰の日々が続いたと伝えられています。
中山道(木曽路)福島宿にある山村代官所の案内板によると「 この祠は、8代代官山村良啓公のときに建立されたもので、それ以降山村家の護り神として、代々丁重に奉られてきました。 御神体について9代良由公は、「 その昔、日本国に降り給い帝都まで駆け巡り宮々を輝くばかり安泰に案じ給うた。神の化身である白狐様が、神の代わりに人々の提訴を聞き判断を仰げば、たちまち英断が下され人々はその判断に従った。」と記しています。今でも火難、病難除け、商売繁盛の霊験あらたかな神として庶民に崇敬されており、また酒を好む神としても言い伝えられています。館内には、安永5年(1776年)ここに稲荷を奉納するという勧請書が現存します。」とあります。さらに、山村家には日本で唯一、狐様のミイラを祭り御神体としています。
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