権兵衛街道・概要: 権兵衛街道は中山道(木曽路)の宮ノ越宿と三州街道の伊那部宿(長野県伊那市)とを結ぶ街道です。開削には古畑権兵衛が大きく尽力したとされ、多くの伝説が残されています。特に古畑権兵衛がは怪力の持ち主だったようでそれに纏わる伝説、伝承が多いようです。権兵衛は中山道(木曽路)の宿場町薮原宿(長野県木曽郡木祖村)から山中に入った神谷集落で住んでいて怪力で蕎麦好きとして知られていました。ある時、宿場で信州一の蕎麦食らいを自称する僧侶が現れた際、権兵衛はどちらが多く蕎麦が食べられるのか勝負を挑みました。すると、僧侶の方は99皿目で白目を向いて倒れ、大食いが元となり亡くなってしまいました。権兵衛は自分の功名心から徳のある僧侶を殺した愚かさを悟り、残りの人生何か人の為に尽くす事は出来ないかと思うようなりました。そのような中、馬を引きながら険しい峠道を歩いていると、突然、岩が崩れ、自分は怪力により岩を支えましたが、馬の方は谷底に落ちて死んでしまいました。この事故から、権兵衛は安全な街道を切り開けば、多くの人達に役に立ち喜んでもらえるに違いないし、自分のせいで死んだ僧侶や、犠牲になった馬の供養にもなるかも知れないと思いました。早速、福島宿や薮原宿、宮ノ越宿、伊那部宿の有力者にこの計画を語り協力を取り付けると、自分が先頭に立ち、次々と峠道を切り開いたと伝えられています(木曽谷、伊那谷まで約24キロ、元禄9年:1696年開通)。人々は権兵衛に感謝の意から街道を権兵衛街道、峠を権兵衛峠と呼び長く遺徳を讃えたそうです。
○−大名行列の前に横切ろうとした牛を持ち上げて、行列をやり過ごした。
○−街道を塞いでいた大石を1人で持ち上げどけてしまった。
○−怪力ぶりは大人の男性12人分とも云われています。
○−蕎麦切りを2升分食べる。
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