永福寺(塩尻市)概要: 慈眼山永福寺は長野県塩尻市塩尻町に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。永福寺の創建は元禄15年(1702)、木曽義仲縁の地である現在地に木曽義仲信仰の馬頭観世音を本尊として朝日観音を建立したのが始まりと伝えられています。その後、朝日観音は焼失し一時衰退しましたが安政2年(1855)に現在の観音堂が再建されています。建物は入母屋、茅葺、間口3間、奥行4間、正面1間向拝付、棟梁は当時名工として知られた2代目立川和四郎富昌が手懸けたもので、完成直前で死去した事で富昌最後の作となっています(富昌は特に彫刻に優れ、観音堂には12の蟇股に彫刻が予定されてましたが、死去した事で正面だけが完成しています)。
正面にある山門(仁王門)は明治29年(1896)に建てられたもので入母屋、桟瓦葺き、総欅、三間一戸、八脚楼門、桁行7.4m、梁間4.4m棟梁には下諏訪町出身で立川和四郎富昌の弟子として観音堂にも協力した立木音四郎種清があたりました。上層部には高欄が廻り三手組、下層部には松本出身の太田南海が手懸けた仁王尊像が安置されています。
永福寺観音堂と山門は江戸時代後期から明治時代の御堂建築と楼門建築の遺構で名工が手懸けた意匠的に優れていることから昭和45年(1970)に塩尻市指定有形文化財に指定されています。筑摩三十三番観音札所第17番札所(札所観音:旭馬頭観世音菩薩・御詠歌:八千とせや 誓いは深き 福寺の あゆみをはこぶ 志るしなりけり)。山号:慈眼山。宗派:高野山真言宗。本尊:大日如来。
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