福島関所(木曽町)概要: 福島関所は長野県木曾郡木曽町福島に位置しています。福島宿は中山道(木曽路)のほぼ中間点にあたる宿場町で、戦国時代には木曽谷の支配者である木曽氏の本拠である福島城が設けられていました。江戸時代に入ると引き続き重要視され、福島関所は中山道の重要な関所として慶長年間(1596〜1615年)に整備されたもので箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根)、新居関所(静岡県湖西市新居町新居)、碓氷の関所(群馬県安中市松井田町横川)と共に日本四大関所の1つに数えられ、特に「入鉄砲・出女」は特に厳しく取締りました。寛文3年(1663)に水野忠職が任命されてから水野家が改易される享保10年(1725)まで、福島関の女手形の発行事務は松本藩の藩主水野家が担っていました。
福島宿は木曽谷の中でも谷が一番狭い場所で、さらに片側の断崖沿いに関所を設けた事で、関所抜けがしにくく、断崖と山との間にある東西45m、南北30mの敷地には取締りが行い易いように施設が配され、上番所、下番所、侍控え室、家中屋敷、東門、西門、塀などが設けられました。代々関守には木曽代官で尾張藩に属した山村氏があたっていましたが、明治2年(1869)に明治政府の命により全国の関所が廃止になった事に伴い、福島関所も同時期に廃止になり、施設等は残されたままだったものの明治28年(1895)に建物が取り壊されました。
福島関所は江戸時代の交通の歴史を伝える大変貴重な存在である事から昭和54年(1979)に国指定史跡に指定されています。現在は、史跡からやや離れた場所に福島関所資料館として復元され、関所や福島宿の資料などが展示され周辺は史跡公園として整備されています。又、隣地には福島関所の関所番を歴任した高瀬家があり、屋敷内には高瀬家資料館が設けられています。
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