真山家住宅(佐久市・望月宿)概要: 真山家住宅の所有者である真山家は屋号は「大和屋(やまとや)」を掲げ望月宿の問屋兼旅篭だった家柄で幕末には名主も勤めていました。望月宿では相当な実力者で分家も多く、山城屋や山本屋も旅籠を生業としていました。現在の真山家住宅は明和2年(1765)の火災により焼失した後の明和3年(1766)に再建されたもので(内法長押墨書)、木造平屋建(1部2階)、切妻、桟瓦葺(元板葺き)、桁行10.9m、梁間17.8m(北側突出部:木造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行9.8m、梁間4.6m)、土庇付(約半間)、正面2階外壁が1階より前に張り出している出桁造り(1階から張り出した構造材で2階外壁部を支える形式)で中山道沿いの町屋によく見られる形式です。
真山家住宅の外壁は正面は真壁造り白漆喰仕上げ、向って左側面は下見板張押縁押さえ、軒下は防火、延焼防止の為に塗屋白漆喰仕上げ、正面2階の開口部は格子戸、1階はしとみ戸、出入口は板戸、軒が低いなど江戸時代の町屋の特徴を残し(江戸時代の町屋建築の軒の高さが制限されていた)、2階正面格子戸出窓を支える持ち送りは雲状の意匠、出桁を支える腕木端部に彫刻、格子などに当時の旅籠の名残が見られます。敷地背後の土蔵は、土蔵2階建、切妻、桟瓦葺、桁行4.5m、梁間3.6m。真山家住宅(主屋・土蔵)は天保12年(1841)に僅かな間地切変更や明治時代に2階部分の改変が見られますが、建築年代が明確な江戸時代中期の町屋建築の遺構として大変貴重な事から存在で昭和48年(1973)に国指定重要文化財に指定されています。
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