開善寺(長野市松代町)概要: 金剛山開善寺は長野県長野市松代町西条に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。開善寺の創建は真田家の祖である清和天皇の第三皇子貞元親王が開基と伝えられています。当初は海善寺と称し、後裔である海野氏が庇護していましたが、戦国時代に海野氏が没落すると、その一族だった真田家が引き継ぎ、真田昌幸が上田城に居城を移すと鬼門鎮護として城下の北東に移され寺領を寄進しています。慶長5年(1600)の関が原の戦いで昌幸は西軍に与した為、九度山に流されましたが、東軍に与して宗家の上田領を引き継いだ真田信之も引き続き庇護し元和8年(1622)に信之が上田城から松代城に移封になると当時の住職尊海を召還し現在地に改めて創建し海善寺から開善寺に寺号を改め歴代藩主の祈願寺となっています。
現在の開善寺本堂は慶安3年(1650)に再建された古建築物で寄棟、金属板葺き、彫刻などの意匠は最小限に留めた質実剛健なもので棟には真田家の家紋である六文銭が掲げられ、寛保2年(1742)の大洪水の際には松代藩5代藩主真田信安が松代城から避難してきたと伝えられています。舞鶴山中腹には万治3年(1660)に信之の次女見樹院によって建立された三間(約6.4m)四方、裳階付、茅葺きの経堂(内部に八角輪蔵があり、大蔵経(天海版一切経)が納めています。)があり八角輪蔵としては長野県最古の貴重な建物である事から昭和41年(1966)に長野県の県宝に指定されています。又、開善寺は同じく真田家の崇敬社の1つだった白鳥神社の別当でもあり神仏混交の寺院でした。山号:金剛山。宗派:真言宗智山派。本尊:地蔵菩薩。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-開善寺・長野市教育委員会
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